長浜城
別名- | 付近住所 高知県高知市長浜857-3 | 現在 雪蹊寺・秦神社 |
2007/11/15 | 案内板アリ | 日本城郭大系 |
大窪美作守 | 秦神社と雪蹊寺の背後の山が長浜城址であり、今でも頂上に通じる山道と山の斜面に掘られた竪堀跡が二ヶ所見られます。 戦国時代に、土佐、吾川の両郡を支配していた本山梅慶(茂宗)の子茂辰の支城で、大窪美作守(弁作)が城主でした。 長宗我部国親は、父の兼序の死と岡豊落城の首謀者であった本山氏の討滅を決意していましたが、その機会ができたので、国親の元家臣であった福留右馬允の手引きによって日時を定め、永禄3年(1560)5月26日の雨風激しき夜、種崎から海を渡り御畳瀬より、長浜城を奇襲して攻略しました。今も城山の北西の谷を夜討が谷と伝えています。 |